藤原正彦・若き数学者のアメリカ
- 作者: 藤原正彦
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 1981/06/29
- メディア: 文庫
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初出は1977年,日本エッセイスト・クラブ賞を受賞したこの作品は,筆者がアメリカに留学し,その後助教授として教鞭を執った時期を舞台とした非常に洗練された随筆です。アメリカの大学あるいは研究者の環境についてはkikiさんが余すところなく取り上げておられるので,別の場所を紹介したいと思います。
この作品で筆者は,アメリカ滞在中の心境が変化していったことを印象深く描いています。最初は日本人であることを過剰に意識し,アメリカ人に対して強い対抗意識を燃やします。ハワイの真珠湾での出来事やラスベガスの場面はその筆者の心境を描き出しています。ミシガンの冬の暗鬱とした雰囲気に参ってしまった筆者はフロリダに旅に出ます。それが筆者のアメリカに対する印象を大きく変え,今度は筆者は日本人であることを極力意識しないようにしつつアメリカ人に合わせるようになります。コロラド大学で助教授として学生を相手にしながらの最後の期間は,筆者は自然体を取り戻し,心も落ち着いて日々が過ごせるようになります。このような経験から筆者はアメリカ人とのつきあいについて次のように述べています。
私にはアメリカをアメリカたらしめているものは,何はさておき,まずその国土ではないかと思えるのだ。気の遠くなるほど広大な国土,肥沃な大地,豊富な天然資源,これらがアメリカに限りない富を与えている。この富こそが,アメリカが国家としての形態を保持していくための原動力であり,また,非常時には全アメリカ人を結束させる力なのではないか。(同書・318頁)
そして,アメリカ人の典型など存在せず,ばらばらであるところにアメリカ人の特性があると喝破します。その上で,日本人がアメリカ社会にとけ込むには,アメリカ人のように振る舞うのではなく,日本人としての特性を維持したまま,ただ心を開く,気持ちを開いてアメリカ人と接することが重要であると指摘します。
とにかく,アメリカという集合体に,外部の何かが,自らの異質性を放棄することにより適合しようと試みると,絶対にうまくいかないのである。それはオーケストラに似ているかも知れない。ヴァイオリンもチェロも,ピアノ,フルートも,他のどの楽器とも違う自分自身の音色を持つからこそ全体として美しいハーモニーを作る。各楽器を同時に演奏したような音色の楽器を人工的に作り出しても,それはオーケストラに融合しえないのである。(同書・322-323頁)
中学校時代以来の国際交流教育の記憶をたどれば,各国の習慣や道徳の相違ばかりが強調され,Do as the romans doの側面ばかりが教えられてきたような気がします。しかし,実際に交流の現場に類するところに携わるようになると,日本の慣習や考え方をさほど隠す必要はない,むしろ相手は日本人ならどう考えるのかを知りたがっていることに気がつきます。語学がいくらできても,日本について語る内容を持たなければ会話は成立しません。相手方の国におけるタブーとなる習慣についての知識は最低限持っておかなければならないと思いますが,そこから先はむしろ筆者の言うように,自然体で臨む方がうまくいくような気がします。