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Konstanz als Heimatstadt

佐藤卓己・言論統制

言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)

言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家 (中公新書)

書き手の情熱が伝わる作品です。


第二次大戦期の日本では,自由な報道が軍部によって制約されていた...そのイメージの典型として悪役となっているのが鈴木庫三という人物です。このようなイメージを形成するのに大きな役割を果たした『風にそよぐ葦』でもこの人物がひどく言論弾圧をするシーンがあります。しかし,本書は鈴木日記を丁寧に分析することで,従来のこの図式に異議を唱えています。用紙統制の時代とは実は出版社にとっては出版バブルの時代であり,戦後の言論界が戦前=被害者を装うために独裁者を必要としたのだとします。
鈴木庫三は1894年茨城県出身,苦学して陸軍士官学校に進み,軍隊教育の専門家として,大学で教鞭を執ったりもしています。手記や日記を数多く残しており,本書はそれらを使って鈴木庫三の生い立ち,陸軍や大学での出来事,マスコミとの接触などを細かく分析しています。戦後のイメージにつながったような出来事もあったようですが,そうでない部分(鈴木は宴会嫌いであった,など)も数多く指摘しています。
本書の面白さは次の3点あります。第1は,戦前の陸軍の思想のバックグラウンドがよく描かれていることです。高橋正衛『昭和の軍閥』(講談社・2003年)は軍閥という観点からこの点をクリアに説明していましたが,本書は一人の軍人のあゆみを使って,日本社会の当時の状況や陸軍における昇進システムの要素を説明しています。第2は,日記という史料の意義です。かつて近代の政治史を専門にされている先生が,ある教養科目で,政治家は日記を残しておかなければだめだということをしきりにおっしゃっていました。鈴木庫三は政治家ではありませんが,大量の手記・日記が残っていたために,その歴史上の意義について再検討をするための手掛かりが確保されていたのです。しかし第3に,それを探し当てた筆者の情熱,あるいは筆者の研究姿勢には,学ぶべきところが大きいです。

何かを言い残そうとしながらも沈黙した,その人の声を聞きたい。

この本書あとがきの冒頭の一節(411頁)に筆者のアプローチの全てが現れていると思います。20〜30分くらいで読み終えてしまえる新書が多い中,読み応えがある本書は新書のジャンルとはいえ本格的な研究書と言うべきだと思います。