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Konstanz als Heimatstadt

小松秀樹・医療崩壊

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

医療崩壊―「立ち去り型サボタージュ」とは何か

現職の医師が書いた医療事故問題の本です。


つい先日(6/15)慈恵医大青戸病院事件の刑事訴訟の第一審判決が出され,医師3人に有罪判決が下されました。この判決をめぐっては遺族の声がマス・メディアでは大々的に紹介されていましたが,今回紹介する本は医師の側からこうした医療過誤問題を分析した本です。
本書の主張を要約すれば次のようになります。もともと医療行為は不確実なもので,身体への侵襲という点で基本的に危険なものです。100%の確率で治すことはできず,リスクの判断は患者に行ってもらうしかありません。しかし最近の医療裁判ではこのことが理解されておらず,また警察が医療現場に立ち入って刑事事件を扱う際にもこうした専門性への配慮はありません。結果として日本の医療は,かつてイギリスがたどったような,リスクの高い分野からの医師の撤退を招きつつあります。
このようになってきた原因として筆者はさまざまな要素を挙げます。メディア,医師会,大学病院(医師の養成システム),厚生労働省とならび,法律家の思考方法にも筆者は疑問を投げかけています。

医療について理解するためには,医療の基本的言語が確率・統計であることを認識しておかなければならない。医療の結果は確率論的に分散する。同じ条件の患者に対する同じ医療行為から,よい結果も悪い結果も発生するのである。原理的に,結果から医療の適否を判断することはできない。「結果不法説」をとると普通の医者は皆犯罪者になってしまう。法律家もせめて高校生レベルの数学のセンスを持って何が正しいのか考えてほしい。(本書・87-88頁)

本書を読んでいると問題のあまりの根深さに正直言って暗澹たる気持ちになります。それでも筆者はいくつかの改善提案をしてくれています(本書・223頁以下)。その目玉のひとつは,スウェーデンにならった医療事故に関する無過失補償制度の導入です。正確には過失の証明が要らない補償方式であり,補償対象としては事実上過失が要求されるもののようです。

私は,日本に無過失補償制度を導入したいと願っているが,費用は今の民事裁判による賠償よりはるかにかかることになると予想する。それでもなぜ無過失補償制度を導入したいか。私の考える目的は,紛争処理費用の軽減ではなく,社会的共通資本としての医療制度の保全である。患者と医療従事者の相互不信を解消しなければならない。解消できなければ行き着く先はイギリスの泥沼である。三十数兆円の多額の医療費が無駄になることになる。それ以上に,日本人が不幸になる。将来の国民が病気になったときに,適切な医療サービスが受けられるようにしておくために,紛争解決に費用をかけるべきだと思っている。費用をかけて,すべての医療過誤被害者を公平に救済しなければならない。(本書・242頁)

医療関係事件における被害者救済の拡大は,不法行為法の発展の一翼を担ってきました*1。他方で,こうしたルールの変更が医療関係者をハイリスクなところから立ち去らせてしまう危険に,法律学はあまり関心を払ってこなかったようにも思います。医療事件の難しさを改めて認識させてくれる作品でした。

*1:先日の予防接種感染による肝炎の国家賠償訴訟の最高裁判決もこの流れに位置づけられます。