ernst@hatenablog

Konstanz als Heimatstadt

行為と構造

今年の冬は雪ばかりです。


再び積雪
日曜日に一端低温傾向が少し落ち着いていたのですが,月曜日の後半から再び気温が下がりはじめ,水曜日の朝にはこの冬一番の積雪量になりました。積雪し始めてから急激につもったためか,除雪作業が追いつかず,道路はいたるところで雪だらけのままでした。そもそもこの地域で雪が積もること自体,相当珍しいことのようなのですが,それが立て続けに続く今年はこれまでに例があまりないのだそうです。しかもその雪はパウダースノーではなく,福岡など日本海側で降る,水分を多く含んだぼた雪なので,雪が降っているときには傘がないと服がかなり濡れてしまいます。
自己責任の標識
主要な道路は機械で除雪され,また人家のあるところでは住民が除雪をするのが通常のドイツですが,この右側の写真のような表示がある道路では,除雪がありません。この標識には"Auf diesem Weg kein Winterdienst Benutzung auf eigene Gefahr(この道は除雪しないので自己責任で利用してください)"と書かれています。この表現は,日本人からするとやや奇異に感じられるところがあります。日本で同じ状況なら「危険!積雪時通行禁止!」のように書かれると予想されます。こうした表示が見られる一因は,訴訟などの際に不利にならないようにするためなのだろうと思います*1が,この表示にはそれ以上に意味があるような気もします。
ある問題が起きたときに,それを「行為者」の責任とするか,それとも行為者の行為を導いた社会の「構造」の責任とするか,という二つの帰責の方法がさしあたり考えられます。かなり乱暴に感想めいたことを言えば,ドイツ社会では前者が優位で,日本社会では後者が優位のように見えます。行為者の行為を重視するあり方では,やむを得ない事情の場合にでも行為者に過大な責任を負わせる可能性があります。他方で構造に注目すると,被害者に優しい反面で,一般的な管理・監督の立場にある人に過大な責任が負わされたり,責任の程度が被害者の認識によって決まったりするようになるかもしれません。あるいは別の言い方をすると,構造に注目する発想は,真の意味で個人の行動の自由がないことの裏返しなのかもしれません。
帰責の確定の作業は,おそらくこの2つの極があることを認識した上で,そのスケールの中のどこに落としどころを見出すかという問題になるのでしょう。両者のバランスを意識する上では,ドイツのこの標識は興味深い意義を持っているのではないかと思いました。

*1:似たようなものとして,"Ohne Gewähr"という表示もよく見かけます。直訳すると「保証しません」ということなのですが,例えばバス停に掲げてあるバスの時刻表にもこの表示があり,このバスの時刻表と違うバスの走り方でもそれに伴って生じた損害は賠償しないという意味のようです。またこちらではLotto(宝くじ)の当選番号がテレビのニュースなどで流れますが,その場合にもこの表現が使われます。