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長谷部恭男・憲法とは何か

憲法とは何か (岩波新書)

憲法とは何か (岩波新書)

各所*1で話題の本格的な憲法入門書です。


最近装丁が新しくなった岩波新書の新赤版。本屋さんに積まれているこの作品も見た目からして目立ちます。
憲法の入門書は数々ありますが,最近の研究動向(「1985年の精神」*2)を十分踏まえ,かつ単著でということになるとあまり該当作はありません。なかでもこの本は,水準の高さと語り口のわかりやすさに大きな魅力があります。

本書の概要

第1章「立憲主義の成立」は,価値観の多元化のなかで比較不能な価値の対立が生じる近代社会における共存の原理としての近代立憲主義を分かりやすく説明しています。イスラム社会の現状分析の部分も読みどころのひとつでしょう。
第2章「冷戦の終結とリベラル・デモクラシーの勝利」は,Philip Bobbit, The Shield of Achilles をベースに,リベラル・デモクラシー,ファシズム共産主義三者の対立を憲法学の観点から描いています。
第3章「立憲主義と民主主義」は,民主主義の持つ意味の変遷と,民主主義における憲法の役割を説明しています。立憲主義の意味は近代以前と以降とで大きく違うことが強調されています。
第4章「新しい権力分立?」は,アメリカの大統領制,イギリスの議院内閣制とはちがう,日本やドイツの権力分立のスタイルのメリットに光を当てるとともに,憲法政治と通常政治とを区別する意義を分かりやすく説明しています。
第5章「憲法典の変化と憲法の変化」は,成熟した国家にあっては憲法典の改正は大きな意味を持たず,むしろ専門家集団により形成される実務慣行に大きな役割が認められることを述べています。
第6章「憲法改正の手続」では,なぜ多数決というしくみがとられるのか,なぜ憲法改正の際には特別多数が要求されるのか,その理論的根拠を明らかにするとともに,国民投票法案で必要と考えられるしくみの提案もしています。
終章「国境はなぜあるのか」は,国境の存在理由からリベラリズムの位置づけを説き,国境の引き方の問題から権威の正当化の問題を扱っています。

本書の特徴

本書の特徴を挙げるとすれば,次の2つにまとめられそうです。1つは,本書の各所に著者のウィットに富む見解がちりばめられていることです。とくに吹き出した件を引用します(同書・19頁)。

「国を守る責務」なるものも同じで,国民を何か義務づけたいのであれば,法律を作ってその義務に反したときは罰金をとるなり監獄にいれるなりの制度を構築する必要がある。それがなければ,憲法に「国を守る責務」が書き込まれていても,それ自体に意味はないし,法律ができていれば,憲法の条文は不要である。これに対して,そうした「義務づけ」を伴わないから「責務」なのだという話もどうやらあるようだが,こうなってくると一体何がいいたいのかもはや理解不能である。理解不能な発言をする表現の自由も現行憲法によって保障されてはいるが,理解不能な話にもとづいて憲法を変更すると,憲法自体,何をいっているのか分からなくなってしまうので,止めておいた方がよいであろう(...中略...)。

もう1つは,行間を読むことの大切さと大変さです。本書は長谷部先生がこれまで発表してきた論文をベースにしているので,論文を読んだことがあれば何を言おうとしているのか掴むことは容易です。逆にこの本から入門する場合には(その読みやすい語り口にもかかわらず),テキストの行間を読み解くのはかなり大変だと思います。これを手助けするのが,各章末におかれた[文献解題]で,より高度な内容や参考文献が詳細に挙がっています。この点は入門書としては異例なのかもしれませんが,学習者にとっては大変有用だと思います。なお,意味深にも,第1章の[文献解題]に

レオ・シュトラウスは,授業でテクストを読むにあたって,「ここでは何が語られているか?」だけではなく,「何が語られていないか?それは何故か?」を問うよう,学生に求めた。古来の哲学者は,学問の自由が保障される環境でその見解を公表したわけではなく,しばしば,真に語ろうとすることを行間に隠したという前提がそこにはある(cf. Leo Strauss, Persecution and the Art of Writing (University of Chicago Press, 1988))。われわれには,行間を読むことによって,隠された本来の主張を発掘する使命があるというわけである。

と指摘されています(同書・31-32頁)。入門書としても,あるいは応用的な頭の使い方の練習素材としても,おすすめできる1冊です。