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Konstanz als Heimatstadt

本郷恵子・将軍権力の発見

選書日本中世史 3 将軍権力の発見 (講談社選書メチエ)

選書日本中世史 3 将軍権力の発見 (講談社選書メチエ)

鎌倉幕府室町幕府の統治のあり方を検討しています。


日本史上3度存在した幕府による統治の時代のうち,室町幕府の時代は幕府の力が弱かったイメージがあります。室町時代南北朝の混乱からスタートし,将軍義満の時代に一旦安定したものの,すぐに守護大名同士の争いが始まり,戦国時代に突入したからかもしれません。本書はこうした室町幕府の統治構造がどのようなものであったのかを検討しています。
1336(建武3)年に室町幕府が出した「建武式目」の冒頭には,幕府はどこに置くべきかという問題が扱われています。室町幕府の性格は幕府を公家政権の中心地である京都に置いたことで大きく規定されたと本書は述べています。鎌倉幕府はもともと東国地域だけを支配する政権として出発したものの,元寇の結果,全国に支配を及ぼすことになります。その際の様々な矛盾が霜月騒動などの事件を引き起こしたと本書は分析しています。
これに対して室町幕府は,公家と武家,中央と地方の権力バランスの中で成立した政権であると本書は考えています。そのようなあり方を設計した人物として本書が注目しているのは,3代義満時代の管領であった細川頼之です(本書・155頁)。鎌倉時代には鎌倉から派遣される性格が強かった守護はこの頃には地域に根付き,むしろ領国を拠点にして京都に出てくる構造になっていました。そこで頼之が構想したのは,守護大名のための幕府・中央政権であり,幕府の中枢が各地を転戦しなければ平和が維持できない状態の解消だったと本書は見ています。そのために室町幕府は各地域ブロックを分割し(関東には鎌倉公方を置き,九州には九州探題を置きました),室町幕府そのものは他地域との「外交」上の優位を示すために朝廷とのつながりを深めたのではないか,というのが本書の描く室町幕府の統治構造です。
南北朝の争乱を収めるために構想されたこの将軍権力はしかし,地方の権力が強まるとそのバランスをすぐに崩すことになってしまいます。しかしそれは室町時代の将軍権力の構想とはむしろフィットするものなのだと本書は評価しています(本書・226頁)。このように本書は,中世の幕府の統治権力についてユニークな見方を提示しているもののように思います。