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Konstanz als Heimatstadt

折尾駅駅舎保存問題

JR鹿児島線筑豊線が交わる北九州市八幡西区の折尾駅の駅舎は,大正時代に今の形となった日本初の立体交差駅だ。JR九州と市は,線路の高架化事業に伴い駅舎を取り壊す方針を決めているが,地元の住民団体から「あまりにも惜しい」と保存活用を求める声が上がっている。
住民団体「歴史遺産『北九州市レトロ』を創る会」が北橋健治市長と市議会に駅舎の保存活用を要望,陳情したのは2010年11月24日。市議会では建築消防委員会で閉会中に審査することを決めた。市議会には前年も別の団体から保存を求める陳情が出され,継続審査になっている。
折尾駅は1891(明治24)年に建てられた駅舎を1916(大正5)年に増改築して今の形になった。2階建てで1階に筑豊線,2階に鹿児島線が乗り入れており,両線のホームをつなぐれんが造りの通路がある。外装は86年に手を入れたが,待合円形ベンチや格子天井,化粧柱などは当時のままだ。
市は昨年,市民らが参加して駅周辺のまちづくりを考える「おりお未来21協議会」との協議をもとに,駅舎を解体して近くに「複製保存」する方針を決めた。大正時代の外観を再現し,当時から残る部材を活用する計画だ。ただ,仮駅舎用地の買収が進んでおらず,解体工事の着手時期は未定という。
市によると,建て替えを決めたのは利用者に不便な面があるためという。構造が複雑で迷う客がいるほか,筑豊,鹿児島両線を結ぶ短絡線のホームがある鷹見口とは約150メートル離れており,乗り換えが不便なことも理由に挙げる。
これに対し「創る会」は駅舎中央部を曳(ひ)き家方式で移動し,仮改札口として活用することを提案。「駅舎を折尾のシンボルとして活用できる。部材のすべてを現状のまま残せるし,事業費も安上がりだ」と利点を説く。
同会は,かつて筑豊の石炭を運んだ堀川運河や旧西鉄電車のれんが造り高架橋とともに「折尾レトロ地区」をつくる構想を描き,同じく一部が壊されることになっているれんが造り高架橋の保存活用も要望している。
市折尾総合整備事務所は「移動させて駅舎スペースが確保できるのか疑問。曳き家方式に駅舎が耐えられるか調査も必要だ」と話している。
歴史ある駅舎の保存論議がどう展開するかは不透明だ。ただ,九州共立大尾道建二教授(歴史意匠学)は「折尾は石炭運搬で栄え,駅舎は旧遠賀郡の表玄関だった。その歴史を伝える駅舎を解体することは歴史を消し去ることだ。建物は使われてこそ価値がある」と話している。(坂本康浩)
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折尾駅〉 1891年に筑豊興業鉄道(後の筑豊鉄道,現在のJR筑豊線)の折尾駅が完成。これをもとに95年に九州鉄道(現JR九州鹿児島線)と2社共同の折尾駅が建てられ,1階を筑豊鉄道,2階を九州鉄道が使用した。現在の駅舎はこのときのシステムを受け継いでいるとされる。2009年度の乗車人員は1日約1万6千人で九州で5番目。福岡県内では博多,小倉に次いで多い。

取り壊されてしまった旧国立駅駅舎
朝日新聞の昨日付記事からです。
折尾駅については記事にもあるように,昨年の段階では複製保存の方向が示されていました。曳き家方式は実現できれば安上がりですが,予想される駅舎の脆弱化・老朽化にどう対処するかという新たな問題も出てきそうです。他方で,一旦解体すると,新たに建てられた歴史的建造物はもはや本物としての風格を失ってしまうことも事実であり,東田第一高炉はその例だと思います。現在は雰囲気のない駅舎になってしまった東京の国立駅のようにはなってほしくないと個人的には思います。