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Konstanz als Heimatstadt

都出比呂志・古代国家はいつ成立したか

古代国家はいつ成立したか (岩波新書)

古代国家はいつ成立したか (岩波新書)

古墳時代に「初期国家」という属性を与えています。


邪馬台国卑弥呼が登場する弥生時代から聖徳太子が出てくる飛鳥時代までの間に位置する古墳時代は,中国の混乱期にあたるため日本に関する史料が乏しいこともあってあまりはっきりとしたイメージの涌かない時代です。著者はこの時代に日本が国家としての仕組みを完成させた「初期国家」と呼ばれる状態にあったとしています。この初期国家という見方はヨーロッパや北米の研究者が提唱した概念のようですが,この概念を使って分析することで,国家成立前後の状況の世界的な共通性にスポットライトが当てられている点がとても興味深いです。例えば,日本では弥生時代の代表的な集落と考えられている巨大な環濠集落は,中央権力が成立する直前に世界の各地に成立していることがわかってきているそうです(本書・17頁)。
本書は邪馬台国論争について語ることを主目的とはしていないものの,邪馬台国がどこにあったかという点にも言及しています。そこでは畿内と北九州の2つの権力の違いやその中国大陸との結びつきが議論されています。福岡市付近にあったとされる奴国とその西側の伊都国とは敵対的な関係で,伊都国は邪馬台国の系列下にあったという見方(本書・39頁)が紹介されており,当時の大陸との交易を考える上で興味深い視点を提示しています。
本書のユニークな点は,前方後円墳というお墓の形から大和政権の成立過程を考えているところです。前方後円墳という形は邪馬台国終結する首長たちのシンボルであり,別の地域では前方後方墳などの形が流行していました。これが次第に前方後円墳に統一されていく過程に,首長連合としての大和政権の成立が推定されるとします(本書・42頁以下)。そして倭王武=雄略大王(天皇)の際に中央政権は中央権力を大きく強化し,首長連合としての性格が変質したとします(本書・102頁)。さらに6世紀前半の継体大王(天皇)の時代の前後に地域の有力首長連合の巻き返しがあったものの,最終的には律令国家の完成へと進んでいったと考えています。
本書はもちろん古代史の本としても興味深いですが,国家の成立の歴史を辿る際に出てくる議論は,国家とは何かを考えている公法学の立場から見てもおもしろいものが多いように思いました。