ernst@hatenablog

Konstanz als Heimatstadt

ドイツからみた3・11

大きな被害を出し,現在でも苦難が続く東日本大震災の発生から1年が経とうとしています。
1年の節目を迎え,ドイツの新聞でも日本関係の記事がしばしば出てきています。例えば8日付のFrankfurter Allgemeineの記事(Öffnung nach der Katastrophe von Carsten Germis)では,震災後1年経過して日本の生産力や経済が再び回復軌道に乗り始めていること,原発がほとんど止まっているにもかかわらず国民生活や企業の生産活動に対して甚大な被害が出ているわけではないこと,民間ベースの復興が進んでいることなどが紹介されています。また昨日(今日)付のSüddeutsch Zeitungでは2頁にわたる東日本大震災特集が組まれたほか,福島第一原発事故放射能汚染の広がりの問題が別の場所で取り上げられています。そこでは,甚大な事故であったにもかかわらず極めて危険な量の放射能を浴びた作業員が少なかったこと,天候の影響で強い放射能が海に流されたため,陸地における放射能汚染はチェルノブイリの10分の1程度に止まったことなどが紹介され,甚大な事故ながらも幸運な点もあったことが紹介されていました。
他方で,ドイツ人の批判的な眼差しは主として政治と国民の政治への関心に向けられています。前掲8日付の記事の中では,政治の機能不全が目立ち,国の復興支援が送れていることが強く指摘されています。また昨日付の記事の方では,震災後1年が経過して政府が原子力発電所の再稼働を行おうとしていること,国民の7割が原発からの脱却を支持している割にデモのような直接的な意思表明が少ない(あってもメディアが伝えていないので国民が知らない)ことが批判されています。この記事はタイトルがShoganai - man kann nichts machenであり,記事中にもこの単語が出てきています。政治への不満があれば通りに出ることが一般的なドイツ人にとって,日本における抗議行動の少なさはなお奇異なものと映っているのかもしれません。