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Konstanz als Heimatstadt

井上寿一・政友会と民政党

日本に二大政党制が定着するのかを考えさせる作品です。


日本の戦前においては,二大政党制が確立した短い期間が存在しました。1925年から32年までの7年間,政友会と民政党が交互に政権を担当しています。本書では,この二大政党の成立と二大政党制の展開,さらには政党政治終焉後の政治状況から政党の解散までを取り扱っています。
本書はまず,二大政党制の担い手であった政友会(I)と民政党(II)についてその形成過程や特色を説明しています。伊藤博文によって1900年に設立された政友会は当初は伊藤自身の個人政党であり,対欧米協調路線と地方自治重視の近代政党へと脱皮させたのは原敬でした。さらに高橋是清田中義一を本書では政友会のキーパーソンとして取り上げています。これに対して民政党は,反政友会の政党として1927年に結成されています。政友会から分かれた床次竹二郎の政友本党と憲政会が合併して民政党が成立します。結党のきっかけは政友会が与党の状態で解散に打って出ることを防止するためであり,そのため数あわせの野合という評価もできます。民政党はその後,床次の政友会復帰などで揺れつつも,総裁となった浜口雄幸の国民的人気にも支えられ,二大政党の一翼を担うようになります。
政友会の田中義一内閣が満州某重大事件により総辞職となり,浜口雄幸に大命降下したことで二大政党制の幕が開きました(III)。民政党は幣原外交と井上財政を進めるのに対して,政友会の新総裁となった犬養毅が立ち向かう構図となりました。1930年の総選挙で民政党は政友会に勝利します。耐久生活を国民に強いているにもかかわらず政友会が惨敗することで,政友会はそれまでの資本家と地主を支持層とする政党から,労働者・農民にも支持を広げようとします(本書・84頁)。現状を徹底的に調査し,その事実を民政党に突きつけるという構造がここから展開し,両党の政策競争が始まりました。
しかしそれと同時に,両党の足の引っ張り合いが目立つようになります。特に浜口首相の遭難後に首相代理となった幣原喜重郎外相の失言問題から与野党議員の乱闘騒ぎがおき,政策的論争よりも相手をおとしめ合うようになります(IV)。その後,満州事件の発生と政治家を狙った陸軍将校のテロにより,政党政治は内外からの挑戦を受けることになります(V)。政党間の競合ではなく協力関係を構築すべきとの議論が出たものの,この構想は実現されませんでした。その後,政党出身ではない首相が政党からの閣僚を迎える挙国一致内閣が続きます。この中でも政友会と民政党はそれぞれの政策構想を実現するために行動しており,反ファッショ運動をスローガンに総選挙を戦っています。特に1937年の総選挙では,林銑十郎内閣の野党的な立場にあった政友会と民政党が共闘し,政党内閣復活が現実味を帯びるところまで来ます。しかし両党はその次のシナリオを準備できておらず,そこに近衛文麿が登場し,政党そのものが解消に向かうことになります(VI)。
このような戦前の二大政党史からの教訓として本書が提示しているのは次の3点です(おわりに)。第1は,政権政党が後退しても外交政策が大きく変更されなかった戦前から学ぶべき点が多いことです。第2は,たとえ全体として生活水準が下がるとしても,社会の平準化・富の再分配が実現できるなら,それを主張する政党が勝利していたこと,また協力すべき時に政党が協力しないと政党政治自体が終わってしまうことです。第3は,非常時小康のうちに危機の再来を防ぐ国内体制を構築すべきことです。
1993年以降の日本の政治状況は,2009年の政権交代と2012年の再交代という2つの節目を経験しました。しかし今のところ,本当に二大政党制が確立するのか,それとも別の複数政党政治の枠組が生まれるのかはなお見通せません。しかし,本書が詳述する戦前の短い二大政党制の経験からは,現在にも通じるさまざまなエッセンスを引き出すことができます。本書が示唆しているように,「政権交代が実現するしくみ」と「交代してもなお維持される政党政治システムの枠組」とをどう形成するのかが,今後の大きな課題であるように思われます。