ernst@hatenablog

Konstanz als Heimatstadt

南北格差

日本人にとっては東西の差の方が馴染みがありますが...。


ドイツは1990年に統一されるまで,東西ドイツに分断されていました。そのため,日本人の感覚からすると,ドイツの地域区分としては東西がまず思い浮かびます。統一後,旧東ドイツ地区に対してはさまざまな公共投資が行われ,とりわけ各州の中心都市はかなり再開発がなされています。しかしそれでもなお旧東独と旧西独の経済格差は小さくありません。
他方で,日本人が気がつきにくいのは,ドイツの南北格差です。ここのところこれを裏付ける統計資料が次々と発表されています。先月中旬に発表された所得格差地図(Armutatlas)では,東西格差だけではなく,南北格差が非常に大きくなっていることが明らかにされました。ドイツではEUの基準(平均収入の6割を切ると低所得者)に従い,単身生活者の場合,月収が764ユーロを切ると低所得者(=公的扶助(現在はHartz IV)の対象)とされます。この比率が州によって大きく違っており,最も少ないバーデン・ビュルテンブルク州(Konstanzもここに属します)で10%,逆に最も多いメクレンブルク・フォアポメルン州では25%近くになっています。旧西独地域でも北部では高い値が出ています。同じ傾向は失業率についても言えます。さらに昨日発表された犯罪率のデータでも,南部のバーデンビュルテンブルク州・バイエルン州ヘッセン州などは低いのに対し,北部や都市州(ベルリン・ハンブルクブレーメン州)では非常に高い値になっていました。
ドイツの南北の違いは今に始まったことではないのかもしれません。もともとローマ帝国支配下に置かれていた地域が現在の南部ドイツで,北部ドイツはゲルマン人の居住地域でした。また宗教改革の際,北部がプロテスタントに変わったのに対し,南部は概ねカトリックにとどまりました。19世紀の国家統一の際に主導権を握ったのは北部のプロイセンでしたが,その前に自由主義的なドイツ統一を試みたのは南部の諸邦でした。尤も,現在の地域格差の最大の原因は産業構造にあるでしょう。南部ドイツには自動車など基幹的な産業が集中し,逆に北部ドイツは衰退産業の造船業や重工業が多く立地しています。
他方で,こうした地域差は,ドイツの分権的社会の一つの表れなのかもしれません。もちろんドイツ基本法では,同じ生活水準を連邦内部で維持することが明文で規定されてはいます。しかし実際にはかなり大きな地域格差が存在しており,おそらくその背景には連邦制という統治構造があるのだろうと思います。