重松清・きよしこ
- 作者: 重松清
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2005/06/26
- メディア: 文庫
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主人公の「きよし」は吃音(きつおん,いわゆる「どもり」)に加え,転勤の多い父親のために転校を繰り返しています。そのため主人公は,とくに低学年の頃にはなかなか転校先の学校にとけ込めず苦労しています。『きよしこ』は次の7つのパートから成ります。
「きよしこ」とは,少年が勘違いして覚えた『きよしこの夜』に由来しています。「きよしこ,の夜」…クリスマスイブに「きよしこ」という友達がやってくると少年は思っていました。小学校1年生,転校したばかりの少年は,吃音をからかわれてなかなか学校にとけ込めず,クリスマスイブに自宅で大暴れしてしまいます。その夜に「きよしこ」が現れ,吃音のせいで言いたいことが伝えられない悩みを持つ少年に対して,次のようなことを言います(同書43頁)。
「誰かになにかを伝えたいときは,そのひとに抱きついてから話せばいいんだ。抱きつくのが恥ずかしかったら,手をつなぐだけでもいいから」
「君はだめになんかなっていない。ひとりぼっちじゃない。ひとりぼっちのひとなんて,世の中には誰もいない。抱きつきたい相手や手をつなぎたい相手はどこかに必ずいるし,抱きしめてくれるひとや手をつなぎ返してくれるひとも,この世界のどこかに,絶対にいるんだ。」
きよしこは最後に「それを忘れないで」と言った。
次の「乗り換え案内」はその2年後の小学校3年生,少年は担任の先生に勧められて夏休みに「吃音矯正プログラム」に参加します。そこで,少年よりももっと吃音の程度がひどく,少年にいたずらばかりする加藤くんと出会います。加藤くんとは最初仲良くなれませんでしたが,次のような事件のあと,二人の心が通い出します(同書72頁)。
「リラックスしてしゃべればいいんです。気にするから,よけい言葉が出なくなるんです。『どもったってかまわないんだ』と気持ちを楽にして,自信を持ってしゃべることが肝心なんですね」
今度は,むっとした。なに言ってるんだ,と思った。「笑われたっていいじゃないか,そんな奴はほっとけ」「吃音なんかにくじけるな」「どもるのも個性のうちだ」……そんなことを言うおとなにかぎって,すらすらと,なめらかに,気持ちよさそうにしゃべる。
先生は教室を見まわして,言った。
「ほら,みんな,顔が下を向いちゃっているわよ。胸を張って,もっと堂々として。吃音なんて恥ずかしいことじゃないんだから」
違う。
ぜんぜん,違う──。
少年は上目づかいに先生をにらんだ。
でも,先生は気づかない。すまし顔のまま,「吃音を笑う友だちのことは,笑い返せばいいのよ。つまらないことで笑う,つまらない奴なんだなあ。って」とつづけた。
少年は身を乗り出すようにして机の両端をつかんだ。
このあと少年は,机を持ち上げてたたきつけ,加藤くんもうめき声を上げます。
☆ ★
作者の重松清さんは,少年小説で知られ,その心理描写の巧みさには定評があります。たしかにこの作品においても,少年の心理が読み手に痛いほど伝わってきます。上記の2つの話で思ったことは次の2つです。
1つは,コミュニケーションにおけるface to faceの重要性です。たとえ言葉に詰まっても,抱きしめたり手を握ったりすればきっと伝えられる─それが重松さんがこの作品で伝えたかったメッセージの一つなのだろうと思います。そのような環境においては言葉などなくても,相手の気持ちは伝わります。逆に現在のようなネット社会にあっては,相当に言葉を尽くしても真意が伝わらないこともあります。コミュニケーションの原点は「手をつなぐ」ことにあることを再認識させられました。
もう1つは,いつの間にか「大人」の「合理的」な考え方に適応してしまい,少年期に抱いた思い・痛みを失ってしまったのではないかということです。「乗り換え案内」で出てきた先生の発言は,大人としての立場からみれば極めて適切であり,何の問題もないように見えます。でも,実際にしゃべりづらいことに悩み,そのためにコミュニケーションさえ閉ざさざるをえない少年の立場にも,かつての自分は共感できるマインドを持っていました。今でも持っているつもりなのですが,本当に持っているのか,持っているとしたら失わないような努力をしなければ...と思いました。
孤独な少年と孤独な「おっちゃん」との交流を描いた「どんぐりのココロ」,似たような風景は僕の小学校時代にもあったような気がします。小学校6年生の劇の発表を舞台に,重い心臓病をもつ担任の先生の子どもや先生を思う「北風ぴゅう太」,小学校の担任と児童との心のふれあいの情景になつかしさを感じる人は多いと思います。中学校のいわゆる不良との交流を描いた「ゲルマ」,最近では私立中学校に行く人が増え,こうした経験をする人は少なくなってきているのかもしれませんが,個人的にはワイルドな公立中学校にしかこうした得難い「友情」は存在しないのではないかと思います。中学校3年生の野球の大会のレギュラーをめぐる「交差点」,一緒に頑張ってきた友情と転校してきた友達に対する配慮に揺れる少年の心は,似た経験を持つ者としてもよくわかります。少年が東京の大学に行くことを決意し,地元の恋心を寄せる人と別れる「東京」,ここで再び「きよしこ」も出てきます。転校経験・上京経験がなくとも,小さい頃の情景や気持ちを思い出したくなったら,また開きたい一冊です。