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Konstanz als Heimatstadt

アスベスト禍

アスベスト禍 ―国家的不作為のツケ (集英社新書)

アスベスト禍 ―国家的不作為のツケ (集英社新書)

久しぶりの読書カテゴリでのエントリです。


昨年再び大きな社会問題として認識されたアスベストですが,アスベストに対する危険性はもっと前から知られていました。なぜ国の対策が遅れたのか,アスベストの被害の実態はどうなっているのかを具体的に描いているこの作品は,アスベストの謎への解答の手掛かりを示してくれます。
アスベスト竹取物語での「火鼠の皮衣」がそれにあたるとされるほどに古くから知られていましたが,大量に使われるようになったのは1960年代以降のことです。かつては「石綿付き金網」という実験器具が小学校で使われていたことからもわかるように,アスベストに触れずに生活している現代人はいないと本書は言い切っています。
1987-88年にアスベストが社会問題化し,学校などでは使っていないかの検査がなされました。しかし最近の調査で再びアスベストを使っていたことが問題となった理由は,1987年調査では「生徒が近づかない場所」を対象外としていたことが大きな原因だそうです(同書・77頁)。さらに,この時点の調査では1975年にアスベスト吹きつけが禁止されたことから,それ以前の工事に限定していましたが,その後建設業界で使われるようになった「ロックウール」にも5%超のアスベストが含まれていたケースがあったのだそうです(同書・73頁)。
1992年に当時の社会党が,アスベストを規制する法案を提出します。これに対して抵抗したのがアスベスト業界団体の日本石綿協会や,通産省自民党であったと同書は指摘しています(同書・159頁以下)。とくに通産官僚の反対が強かったことを同書は印象づけています。
今度の通常国会には,アスベスト救済のための新法案が提出されることになっています。しかし労災補償並みの水準には全く届いていないことを同書は批判しています。この法案では,労災保険加入の全ての事業者に負担を求める「一階部分」と,アスベスト関連企業に負担を求める「二階部分」の二階建て構造を採っています。ここでなぜ全ての事業者が負担をする必要があるのかについて,同書は多くの記述を割いてはいません。しかし,ストック公害に対してはアメリカのスーパーファンド法のような基金制度がよいという記述をしています(同書・200頁)。原因者負担の考え方と今回の法案のロジックの整合性の問題と,今回の法案が予定する給付と労災補償の給付との格差の問題とは,ともにさらなる検討が必要な課題ではないかと思われました。