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Konstanz als Heimatstadt

JR直方駅駅舎保存問題

JR九州は,直方市直方駅前整備計画に合わせ,明治末期に建設した駅舎を2010年春までに建て替える方針を決めた。現在の駅舎は解体する予定だが,筑豊炭田で採掘された石炭を運ぶ中継駅として栄えた「まちのシンボル」だったため,市民からは惜しむ声が上がっている。市も駅舎の柱を新駅に使って面影を残すなどの提案を検討しているが,実現するかどうかは不透明だ。

JR九州によると,現在の駅舎は1910年に建設された木造平屋建て(約1500平方メートル)。駅舎内部は改装を繰り返してきたが,正面の三角屋根や通路の柱は,建設当時のままだ。
明治から昭和にかけて石炭を運ぶ複数の線路が交わる中継駅として栄え,1934年には貨物車が1日に5700両通過したとされる。しかし,国のエネルギー政策の転換によって,50年代から石炭産業が衰退すると,旅客を中心とする駅へと様変わりしていった。年間の乗降客は65年に約700万人だったが,徐々に減り,現在は約236万人。
JR九州が89年に発刊した「九州の鉄道百年記念誌・鉄輪の轟(とどろ)き」には,「旧博多駅舎が移築された」と書かれているが,同社広報課は「裏付けが取れない情報だ。他に移築説を確認する資料はない」としており,真偽は定かでない。
駅舎の建て替えは,市の提案で2000年から協議が進められてきた。駅舎は老朽化しているうえ,エレベーターやエスカレーターもないことから,隣接地の約500平方メートルに新駅を建設。現在の駅舎を取り壊した跡地を含む5500平方メートルを市に売却することで昨年5月,合意した。
市はこれを受け,駅前にバスターミナルなどの広場を整備する計画を策定。昨年9月の都市計画決定を経て,事業認可された。用地買収も含め事業費は約20億円で,2011年度の完成を目指している。
しかし,この計画を知った直方文化連盟の中村幸代会長らが「駅舎に石炭産業で栄えた地域の発展を重ね合わせ,誇りに感じている市民は多い。百年もの歴史を刻んだ駅舎は取り壊したら二度と戻らない大切な遺産だから,残すべきだ」として解体に反対し,市に保存するよう申し入れた。
これに対し,向野敏昭市長は「保存したい気持ちはあるが,厳しい市財政を考えると買い取ることは出来ない」としており,駅舎の解体は時間の問題となっている。
新駅舎の工事は来夏始まり,完成するまでの間は現駅舎が使われる。乗降客は両方の駅を見比べることができるため,市は「新駅舎が不評だと,愛着のある現駅舎の保存を望む声が高まるかも知れない」(中心市街地整備振興課)とみている。
そこで市は近く,新駅舎の建設に市民の声を反映させる余地がないか,JR九州と協議する。具体的には新駅舎に▽現駅舎の柱などの部材を再利用する▽現駅舎のデザインを取り入れる―などの案を考えており,市民の意識調査をしたうえで,JR側に申し入れる考えだ。
しかし,JR九州は「市の要望は考慮する。しかし,新駅舎にはエレベーターとエスカレーターを設け,段差の少ない造りにするなど機能を優先させたい」としている。
JRの駅では,1934年に改築され,優雅な寺院風な造りで知られた奈良駅奈良市)が,住民の保存運動によって解体を免れた例がある。2004年5月にJR西日本から無償譲渡された市が現在,活用方法を検討しているという。
直方駅前整備では今のところ,新駅の建設で中心市街地が活性化することへの期待感も大きく,近くでカメラ店を経営する佐藤秀行さん(33)は「利便性がよくなり,客足が戻るなら解体もやむを得ない」と割り切っている。
しかし,直方駅奈良駅のように,保存運動が起きても不思議ではない歴史的な価値がある。市は未来に禍根を残さないためにも,市民の声を十分に吸い上げる努力を惜しんではならない。

読売新聞の9日付記事(地域面)からです。折尾駅の駅舎保存問題では北九州市は今のところやや積極的な姿勢を見せているようですが,直方駅についてはあまり保存に向けた動きは活発ではないようです。
駅のバリアフリー化の観点からすれば,古い駅舎は改修による対応が困難で,一気に建て替えてしまう方が費用もかからずに済むと言えます。現に現在の折尾駅には後付のエレベーターや手すりがありますが,もともとの駅舎の構造から利便性はどうしても落ちてしまいます。他方,文化財としての駅の価値にも目を向けなければ,この先数年で貴重な近代化の遺産が消えてしまう危険もあります。