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Konstanz als Heimatstadt

コンスタンツ公会議600年


ドイツ南西部のわずか人口8万人しかいないコンスタンツですが,ここは世界史の教科書に登場する有名な都市でもあります。それは,1414年から開かれたコンスタンツ公会議の舞台であることに由来します。昨年(2014年)にコンスタンツ公会議の開会から600年を迎え,昨年からその記念の行事が行われてきました。今日(2015年7月6日)はコンスタンツ公会議で有罪とされて処刑されたJan Hus(ヤン・フス)の命日であり,処刑からちょうど600年という節目の日です。これを記念して先週からHusに関する記念行事が行われています。
Jan Husはその後に展開する宗教改革の先駆者としても位置付けられることがあり,ヨーロッパでは一定の知名度があります。特にその出身国であるチェコでは非常に有名で,チェコからの留学者にとってコンスタンツは特別な意味を持つ街のようです。コンスタンツの旧市街には,ドイツとチェコとが協力して設立したHus-Hausがあり,Jan Husの業績を今に伝えています(Jan Husが住んでいた家というわけではないようです)。
コンスタンツ公会議が開催されたKonzil(公会議堂)は,現在でもコンスタンツ駅とコンスタンツ港の間に立っており,現在ではレストランとして,あるいはオーケストラの演奏会等のホールとして利用されています。600年前にコンスタンツがヨーロッパ世界において果たした役割に思いを馳せることのできる美しい建物です。