- 作者: 宮坂道夫
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2006/04/14
- メディア: 新書
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重監房とは,草津にある国立ハンセン病療養所栗生楽泉園にかつてあった懲罰施設のことです。1938年から9年にわたり患者を監禁するために使われたこの施設は,日本のハンセン病政策を考える出発点としてさまざまなことが見えてくる場所でもあります。
本書は,筆者がハンセン病を知るきっかけになった谺雄二さんとの出会いの場面から始まり(第1章),大きくは次の2つの内容を取り扱っています。1つはハンセン病患者がなぜ隔離されるに至ったのかの問題です(第2・3章)。ここでは日本の事情のみならず,世界各地の隔離政策も取り上げられています。もう1つは,日本の隔離政策の中でなぜ患者の人権を無視する取り扱いがなされてきたのかの問題です(第4・5・終章)。その手掛かりとなるいくつかの記述を箇条書きしてみます。
- ヨーロッパ列強と比較して日本のハンセン病患者が多く,当時の医師たちは文明国としては国辱だと考えていた(同書・88-90頁)
- 1953年のらい予防法改正の際に,患者側は「科学」を旗印に隔離政策の必要性の乏しさを主張したのに対し,医師側は「政治」に訴えることで強制隔離の維持・強化を求めた(同書・93-95頁)
- 光田健輔*1に代表されるハンセン病専門医のパターナリズムが強制隔離・強制労働・断種・懲罰といった権力的措置を招いた(同書・95-118頁)
- 重監房廃止につながった「22年闘争」は当初,共産党が引き起こした労働争議のようなものだと政府側は認識していた(同書・158頁)
一方,行政法学からこの問題を見れば,伝統理論によれば営造物規則にあたる「国立癩療養所患者懲戒検束規定」が引き起こした悲劇です。療養施設内の秩序維持のため療養所の医師たちは当初,専門の刑務所を要求したものの,それが実現せずに代わりに得られたのがこの検束権なのだそうです(同書・122-125頁)。少なくとも裁判ルートを封じてしまったことに,特別権力関係論の欠陥を見出さずにはいられません*2。