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Konstanz als Heimatstadt

斎藤兆史・日本人と英語

日本人と英語 ――もうひとつの英語百年史

日本人と英語 ――もうひとつの英語百年史

日本人と英語との100年にわたる関わりを描きながら,現在の日本の英語教育のあり方を考える作品です。


研究社創立100周年記念としての意味もあって出版されている本書は,日本人と英語との関係を通史的に描くことが中心となっており,同じ著者の『英語達人列伝』のような特定の人を主軸に描く描き方ではありません。そのために,わが国の英語教育がこれまでどのような変遷をたどってきたのかがよく分かる構成になっています。
本書の出発点である明治後期に,英語教育はそれまでとは大きく性質を転換させます。それまでの英語は一握りのエリートのためのものであったのに対し,明治後期以降は英語教育が一般化・大衆化をはじめます(本書・20頁)。その後,大正期に入ると水準の高い様々な辞書・文法研究書が出版され,また教育面では訳読主義・熟語本位主義がみられます(本書・85頁)。昭和の戦時中直前においても中等教育における英語教育のレベルはかなり高い水準を維持していたことが分かります。
著者が強く批判するのは1970年代以降に日本に持ち込まれ,日本流の変容をとげた「コミュニケーション中心主義」の英語教育です。戦後の英語教育は当初,役に立つかどうかを最優先する実用英語の考え方が強かったのですが,その後に持ち込まれたコミュニケーション中心主義では,文法を気にせずにコミュニケーションを図る,自分の言いたいことを伝える態度を養うことが中心となってきました(本書・189頁)。しかし他方で英語の授業時間が削減され,また母語でない英語をコミュニケーション中心で身につけることの困難性から,著者はむしろ文法や読解・作文・発音といった基礎的英語力を高めることが重要であるとします(本書・216頁以下)。
著者の主張を乱暴に要約すれば,英語教育においては基礎力の拡充(とくに文法)こそが必要であり,そのためにはそれなりの時間数をかけ,きちんとした指導ができる英語教員を育てるべきだ,ということになります。また,外国語習得の上では母語の運用力が極めて重要であることも指摘しています。ものを考える際の母語の力こそコミュニケーションの中心的基盤であることを改めて感じさせる本でした。