ernst@hatenablog

Konstanz als Heimatstadt

語学で苦労しているはなし

タイトルはもちろんここからとりました(笑)。


ドイツ滞在も早いもので11ヶ月目に入りました。これまで語学の話をあまり書いていなかったので,今回はこの話題でエントリを書こうと思います(きっかけはこのエントリのタイトルとして借用したこのページを改めて読み直したことです)。

海外生活すれば語学力が自動的に上達するわけではない

同僚の知財の先生の持論であり,僕もそうだと思います。日常会話について言えば,3ヶ月程度生活していると一定のパターンを覚えることができ,そんなに困らなくなってきます*1。しかし大学で使われるような内容の聴き取りやしゃべりは,意識的な語学の勉強を続けないとうまくなっていきません。

「読むこと」と「書くこと」が基本能力

こちらに来て強く感じるのは,同じ語学力の水準であっても,日本の学習者とヨーロッパの学習者との間に大きな違いがあることです。聞くこと・話すことに関してはヨーロッパの学習者は非常に強いです。とくに話すことに関しては日本の学習者は全く及ばないと言ってもいいように思います。日本の学習者が話すことに困難を感じる理由はいくつもあると思いますが(日本における語学学習のスタイルが影響しているでしょう),話すときの考慮要素が多すぎて処理が間に合わないのが一因なのではないかと思います。ヨーロッパの言語の全てがそうだとは言えませんが,ヨーロッパの言語はドイツ語との構造上の特色や語彙上の特色が一致しています。これに対して日本語からの場合には,しゃべる際に「語彙」「文法」「語順」「変化形(語尾変化・格変化)」「発音」「抑揚」などを同時に判断しなければならず(もちろん慣れてくればこれらが自然につながり,はやくしゃべれるようになるのだと思いますが),スピードが出ないような気がします。
しかし逆に「読むこと」「書くこと」ができなければ,大学における会話を聞き取ったりしゃべったりすることはできないとも思います。文字になっているものが追えなければ,同じ内容を音で聞いてわかることは,アカデミックな場面ではあり得ないでしょう。反射神経がためされる日常会話と異なり,アカデミックな場面ではむしろ内容がきちんとしているとか,文法に準拠していることが重視されているように感じます。

文法はやはり大事

その意味で,日本のドイツ語教育が文法を重視していることは,否定的に捉えられるべきではないと思います。文法テストや作文では日本人学習者はヨーロッパの学習者より概して高い評価を得ます。またドイツ人の助手の話を総合すると,ドイツ語ができるかどうかの重要な判断要素として,文法通りにしゃべっているかどうかという点が考慮されているようです。多少発音が下手でも,文法に準拠していれば,その人のドイツ語はきちんとしていると判断されることが多いようです。

聴き取り=語彙+コンテクスト

聴き取り能力にも文法の知識が大きく影響することは言うまでもありません。加えて重要だと感じるのは「語彙」と「コンテクスト」です。1つの文章に知らない単語が3つ以上でてくるとさすがに大意を掴むことも厳しくなります。ここでの「語彙」は単にその単語を知っている・知らないということだけではなく,音で聴いた上で理解できるかどうかという要素をも含みます。また仮に全ての語彙が既知であったとしても,その文章の文脈が理解できないと,全体として何を言っているか全く分かりません*2
この両者が満たされると,聞き取った内容が短期記憶にとどめられるようになり,あとで内容を反芻することが可能になるようです。

表現のストックを増やすために

中学生・高校生の時代と比べて,語彙を獲得し,それを定着させることに大きな苦労を感じるようになってきました。その当時でも非効率だった「単語帳丸暗記」方式はもはや不可能です。むしろ,表現のストックを増やすためには「反復リスニング」や「暗唱」の方が効果的と感じます。またさまざまなテキストで見つけた表現をどこかにメモしておいてときどき眺めるだけでも一定の効果があるようです。

*1:もっと極端なことを言えば,日常生活では言葉がほとんどできなくてもあまり支障はないのかもしれません。買い物の場合には指さしたりレジの数字を見てお金を出したりすればよいですし...。

*2:おそらく同じことは(しばしば外国語学習と比較される)法律学の学習についても言えるのでしょう。つまり話の中に出てくる専門用語がある程度分かった上で,その話の背景を知っていなければ,法律学における説明を聞き取って理解することは困難なのだと思います。